2日で7回乗船した
最初の記事で、「旅先での”ここぞ”の36枚が全部消えてしまった。」と書きましたが、その消えてしまった写真を撮ったのがこの旅です。
島萌え
島に萌える。理屈じゃない。
いつものようにあてもなくGoogle Mapを見ていたら、ある島に一目惚れしていた。
いちおう本州と橋で繋がっているのだが、海を7回渡らなければいけないらしい。
ロマンだ。
まわりの島々も旅の目的地として十分魅力的だったし、ここに行く船のサイトの見づらさにさえも惹きつけられた。(バスに至ってはHPすら無かった)
いくつかの島を1日で巡るプランを立てて、宿だけ予約した。
岡村島
かくして私は船上の人となった。
詳細は省くが、
- 神戸港からジャンボフェリーに乗って朝5時に高松に到着し、
- レンタサイクルで夕方まで駆け回って8軒のうどん屋を巡り、
- 普通列車に3時間揺られて今治のゲストハウスに投宿し、
- 翌日朝イチでまたレンタサイクルを借り、その自転車とともに
岡村島行きの船に乗り込んだ。
ジャンボフェリーと讃岐うどんについては今度またたっぷりと書きたい。
年の瀬も年の瀬、12月29日だったので、今治の街で年越しに必要なものを買い出してきた人たちや、島に帰省する家族連れたちで客室はいっぱいだった。船は桟橋を離れるとやがて来島海峡大橋の下をくぐるが、それにカメラを向けているのは私だけだった。いいアウェイ感だ。
船は途中の3つの港で乗客たちを降ろしてゆき、最後の岡村島まで乗ってた人たちも、すぐに各々の家路へと消えてしまった。
事前にネットで調べたところ、岡村島には何もないことがわかっていた。正確には、年の瀬の朝方にやってきた時間のあまり無い若者が、何かを味わったり観光した気になれるようなところはなかった。
岡村島に降り立った私はまず集落を一周して、どうやらその通りであることを確認した。それで満足だった。そして自転車でもう一周、チャーミングな路地を流して、満足に満足を重ねた。
大崎下島(御手洗)
さっきの岡村と同じく、こちらも潮待ちの港として栄えたところらしい。確かに、穏やかな海の、ひときわ穏やかなところに沿って小さな町がある。
古くは港町や遊郭の町として栄え多くの船乗りを迎えた町並みが、今はその美しさを求める観光客を迎えている。人に勧めにくい所ばかり旅行している私にしては珍しく、ここはかなり人に勧めたい所だった。
ご飯を食べる所だっていくつかある。旅館だった建物を改装したお店で、自信に満ちた厚さのタイのお刺身を食べた。
道のそこかしこにはみかんの無人販売があって、青果店(というより、卸売の倉庫のようだった)では搾りたてのジュースが飲めた。お若いからいっぱい食べるでしょ、とみかんの詰め放題300円を勧められたが、丁重にお断りした。2kgは入るらしい。
島の街なかというのはどこでも、「道に沿って家が並んでいる」というよりは「家を建てて余ったところが道になった」というようになっている気がする。 船に乗って生きる人たちだからなのかもしれない。
実際に今でも船はこの地域のメインの公共交通になっているようで、バス(広島や呉からやってくる)よりも船の本数のほうが多いし、竹原に行く高速船の発着場はバス停のように点在している。
瀬戸内海は穏やかだ。小さな旅客船でもバスより揺れが少ないし、時刻だって正確に、しかし気軽に運航している。
次の島に向かうフェリーも、ランプウェイをちょっとだけ上げて、クルマの固定もせず、気の抜けた汽笛を一笛吹いて、時間通りに出港した。
契島
大崎下島の小長港から大崎上島の南側にある明石港に渡り、6kmほどヨロヨロと峠道を走って、島の北側の白水港まで来た。ここから更にフェリーに乗って契島を見に行く。
”見に”行くと書いたのは、この島に上陸することができないからだ。島全体が鉛の精錬所になっていて、一般人は立ち入ることができない。しかし工業を全面に押し出した、その無骨な―生きている軍艦島と呼ばれることもある―姿を、フェリーから眺めることはできる。
白水を出港して、途中別の島を経由しつつ30分ほどで契島に着岸する。桟橋の先はもう工場になっていて、というより桟橋が工場の一部のようになっていて、部外者の私はそれを眺めることしかできない。
精錬所には宿舎があって従業員やその家族が住んでいるから、町もいちおう町役場との間にフェリーを走らせている。しかし本土の竹原との間に従業員専用フェリーがあるので、町営フェリーのほうは殆ど使われていないようだ。
じっさい、他の乗客はみんな行きの寄港地で降りてしまった。そこから契島に行って白水に帰るまで、船員3人に対して乗客は私1人だった。私が払った運賃580円と大崎上島町民の税金で、大きなフェリーが動いていた。
大崎上島(木江)
また峠道を越えて、島の南側に戻る。
木江もまた潮待ちの港として、そして遊郭の町として栄えたところだ。昔の目抜き通り沿いに木造3階建てやカフェ―建築が並ぶ。町外れには木造5階建てだってあった。
濃密な空間だった。潮流や荒天をものともしない船の登場によって、時間の流れから置いていかれたような街並みだった。港のおばちゃんは、私がここから帰れるのかどうかをやけに心配してくれた。
大三島(宗方)
フェリーに乗っている10分間で完全に日が暮れた。
宗方に来たのは船の乗り継ぎのためだったが、港のまわりには20分の待ち時間を潰せるようなところはなかった。
大量の柑橘類が並ぶ待合室でNHKを見て、今治に帰る船の時間になったので桟橋に向かうと、今度は雨が降ってきた。
おばちゃんに傘を貸してもらいながら、みかんでも買っときゃよかったな、と思った。